目次
- まえがき
- エンターテイメント(大衆娯楽)は人生に必要ですか?
- ①「自分にない概念、新しい思想、価値観を理解させる力があるから」
- ②「想像力を高める効果があるから」
- エンターテイメント作品は、人が生きる上で必要なものだと思います
- あとがき
まえがき
こんにちは。イラスト、絵本、詩、映像などを通しておはなし作品をつくっているkaorikidです。
本日4/11をもって、正式に個人依頼(イラスト・デザイン)の受付を開始します。
今回は、昨年12月に行った展示でもお話しした、制作理念についてまとめてみました。
人によって意見が変わりそうな内容ですし、これから作品制作を続けていくと変化するかもしれないことですが、一度文としてきちんと書いておきたくて。
もしよければ、感想など送ってください。

私はエンターテイメント作品に憧れて制作を始めました。
エンターテイメント作品とは、ここでは演劇、映画、漫画、アニメ、小説、絵本、音楽などのいわゆるサブカルチャーや、物語を伴う大衆娯楽についてのこととします。
誰かに何かを届けることを目的とした作品、とも言えますね。
私はとても憧れているエンタメ作品ですが、実際には「娯楽や芸術なんか人生の役に立たない」「生活する上での実用性なんて感じられない」「映画や音楽を楽しむことでお金が増えたり勉強になるわけでもないのに」といった世論をよく目にします。
鑑賞する立場であっても、制作する立場であっても、とくに私のようにイラスト、絵本といったサブカルチャーを中心に制作している人間は、その意見とどう向き合えばよいのでしょうか。
もちろん、感動する、楽しい、興奮する、かっこいい、かわいい、好きだから…これらも理由の一つではあります。その理由だけで観賞したり、創作したりすることは全く否定しません。それと、モノを作ることに理由なんて正直いらないかもな、とさえ思います。
でも人類が生まれてから今まで、全世界で劇や歌、絵画、音楽、文学が広がって無くなることはないのは、何か生きる上でこれらが必要とされてきた部分が少なからずあるからではないでしょうか。
そこで、なぜエンタメや大衆娯楽が必要なのかを考察して、現時点での私の考えを書いておきます。
エンターテイメント(大衆娯楽)は人生に必要ですか?

世間的には、「エンタメが人生になぜ必要か?」という質問に対する答えは
・感動を与えるから
・人生が豊かになるから
というものが多い気がします。
ただ、じゃあなぜ感動を与えるのか?人生が豊かになるのか?
そして、それが具体的に人生にどう役に立っているのか?
大学の頃からずっと、その点について、きちんと言葉にしたいと思っていました。
というより、そこが曖昧だから、価値が無いような書かれ方をしてしまうのではないでしょうか。
私が現時点で考えている答えは、以下の二つです。
①「自分にない概念、新しい思想、価値観を理解させる力があるから」
例えば、子供が最初に文字を覚えるために触れるエンタメ作品のひとつは、絵本だと思います。
文字のわからない子供でも、泣いたり悲しんでるキャラクターの姿、悲しそうな色、形、質感で表された絵、それに伴って書かれた「かなしいよ~」などのセリフ、または読み聞かせている人の声色などから、「これは『かなしい』という感情を表しているのだ」ということを理解して、言葉を覚えます。
今書いたのは子供の場合ですが、エンタメ作品を鑑賞するときには、大人であっても、同じことが起こっています。
たとえば、映画を観て知らない人間の価値観や生活スタイルを理解し、どこか似ているところがあると共感したり、感動したりすること。
またはラテン音楽やヒップホップ、K-POPなどを聞いてどことなくその国の空気感や雰囲気を感じ取ること。
それは、エンタメ作品だから出来ることだと私は考えます。漫画であっても劇であっても、物語のある作品は、共通の力を持っています。
②「想像力を高める効果があるから」
先ほどの『自分に無い概念、新しい思想、価値観を理解する』行為を繰り返しているうちに、私たちは想像力を高めているのではないでしょうか。
一般的には夢や希望を見つける力、未来を予測する力をまとめて「想像力」または「創造力」などと呼ばれている気がします。
そして、クリエイターやモノづくりに携わったり、これからの未来を創造する技術者…そういう人たちだけに向けられている言葉のように思えることもあります。
しかし、想像力というのは、アートにかかわる人やデザイナー、ものを作る側だけが必要な能力ではありません。
日常生活やコミュニケーション、もっと生きている中で使う身近で、必要な能力なのだと私は思っています。そして、それらは「デザインする力」に近いものではないでしょうか。
例えば、今日外出するとしましょう。
服を選びます。体調は悪くないのに、なぜか顔色が悪い。いつも着ている紺色の服を着ると、余計に体調が悪そうに見えるかもしれません。
”明るめの色を選ぶか。メイクも明るめに。少しこのデザインだとシンプルすぎるから、アクセサリーを足していこう。出かけた先で出会う人たちは初めての人が多いから、顔を覚えてもらいやすく、かといって目立ちすぎない服にしよう。だとすると、柄物がいいかな。”
一般的には、自己プロデュース力と呼ばれるものですね。
こういった自分の見た目をコントロールしたり、相手の反応を予測する能力も、私は想像力の一種だと思います。
または、今日会社でプレゼンがあるとしましょう。
説明するものは新しいサービスで、少し概念的な部分が多く、文章だけではわかりにくいかもしれません。
”そうだ、図や映像を用意して見てもらおう。でもそればかり見せ続けても飽きてしまうかもしれない。何分か置きに休憩をはさんで、たまに人に意見を聞く時間もつくろうか。聞いただけでもわからないこともあるだろうから、持ち帰れる資料を用意して、後日意見を集めてみよう。今計画したプレゼンが本当にうまくいくか少し不安なので、前もって上司に相談してみようかな。”
このように、企画や計画を考え準備する能力も、デザインする力、想像力の一種だと思います。
こういった想像力は、普段生活して身に着けた他者への理解や、世間的な「普通」の理解、自分に無い価値観への理解を繰り返し行ってきたことで生まれたものです。
そして、その想像力は、小さい頃から触れてきたエンタメ作品や、サブカルチャーなどへの理解を通して育っていく部分もあるのだと、私は考えています。
エンターテイメント作品は、人が生きる上で必要なものだと思います
私たちは普段生活して人とコミュニケーションをとったり、または何かを共有したりするときに、言葉以外の手段や方法をとっていることが多いです。それには、想像力が必要です。
街を歩いていて見かける看板やチラシ、CM、電車の注意喚起のためのピクトグラム、好きなファッション誌、新作の服、キャッチ―なメロディ…いたるところにその想像力を使った表現が見られ、大なり小なり誰かを想定して、創造して、実際どう伝わっているかを検証して、デザインされてきたものでしょう。
相手に何かを伝えたり説明するときには、相手の意見を想定することや、それを見た人がどう感じるかを考える必要があります。
また、伝えられる側、説明される側であっても、その説明している相手が何を伝えているのかを理解する力がなければ、相互的なコミュニケーションにはなりません。
私は物語作品や絵本、エンターテイメント作品はその相互理解に必要な「新しい概念、物事を理解する力」「何かを想像、創造する能力」の二つを育てるのに、とても有効なものであると考えています。
私が小さい頃読んでいたアニメや漫画は、まさしく私にとって、「全く違う世界を覗き見るための窓」でした。
映画やコミック、アニメといったエンターテイメント作品は、楽しむ人々に、彼らの持っていない価値観を自然に取り入れさせます。
自分の知らない人間らしさや感情を知ることは、まだ知らない誰かのことを知ることや、ひいては世界を知ることにつながるのではないでしょうか。
自分の作品を楽しむ人々が、彼らにとって新しい何かを発見できることを願い、それを生涯の目標として、私はこの制作活動を続けます。
あとがき
読んでくださってありがとうございました。今回の記事の内容は以上です。
さて、大層なことを書きましたが、当の本人はまだどう活動していくか迷っている無名の作家です。
初めての個人活動開始の記念に、この記事を書きました。
内容はこれから制作を続けていくと、また違った考えが生まれるかもしれません。
最後になりましたが、私の作品について興味を持ってくださった方は、下記リンクから他のSNSや依頼募集を覗いていただけると嬉しいです。
TwitterとInstagramを特に動かしています。
各種リンク一覧
2021.05.14 一部修正