kaorikidです。こんにちは。
ノスタルジックな絵とおはなしをつくっています。まだまだ駆け出しの作家です。
今回は、若干これを書いている本人がスランプ気味なこともあり、制作意欲ってどこから生まれるのかな?という考えを書こうかなと思います。
半分は自分が詰まった時見返すためです。
目次
- 毎日作るには制作意欲が必要
- 制作はストレスがないと始められない
- 制作はもしかしたら、人生記なのかもしれない
- あとがき
毎日作るには制作意欲が必要
私は三ヶ月間、制作の一環として定期的に絵日記をつけていた時期があります。
その日感じたことや気づいたことを、絵と簡単な詩を添えてSNSにあげていました。
その前に一年くらい絵が上手く描けなかった時期があるので、鈍っている手を戻したかったのです。それと、自分の新しいスタイルを模索したい、という気持ちで始めたものでした。
そこで難しかったのが、意欲の保ち方です。
当然ですが、三ヶ月毎日絵日記を描くぞ!となっても、描けない日が出てきます。
描けないというのは技術面よりも、描きたい気持ちが起こらないというのが最大の問題でした。
制作はストレスがないと始められない
描けない日には何が足りないのか。私は描けない日と描ける日を比べるうちに「ストレス」が無い日に上手く描けない、ということに気がつきました。
ストレスにはもちろん、ネガティブで嫌な出来事なども含まれますが、ここではもっと広く英語の意味での負荷のこととします。
つまり、新しい発見や知識を貯めて心に負荷がかかった状態です。
怒られた出来事もストレスですし、初めて見た映画がとても素晴らしくて心に残った、というのもストレスになります。
負荷がかかればかかるほど、心の中は風船のように膨らんでいって、空気が満タンになったころに、衝動としてはじけとびます。
それが、私の場合「制作したい!」という動機になるのかな、と考えました。
この衝動が例えば「踊りたい!」「歌いたい!」「騒ぎたい!」「おしゃべりしたい!」「スポーツしたい!」に変わる人たちもいて、それは人によってバラバラなのかも知れません。
絵日記は文字通りその日の出来事や考えを作品にするので、何も出来事や発見がない日は、描くものがありません。(夏休みの宿題で悩んだ人も多いんじゃないでしょうか)
ストレスは私にとって、その日を絵日記に落とし込むための、着火剤のような役割をしていたのです。
制作はもしかしたら、人生記なのかもしれない
当時は、制作にストレスが必要であるということは絵日記の場合に限っていましたが、最近になって、これは普段の制作にも言えることなのかもな、と思い始めました。
作品には制作する人の今まで経験した事柄や知識、物の捉え方、感じ方が率直に表現されてしまうからです。人生記ともとれます。
私は何も出来事がなかったり心の成長がない日々が続くと、「何を作ったらいいかわからない」という状態に陥ります。
そこから脱出するためには、技術以前に「制作をしたい!」という意欲と、描きたいテーマを定めるための「自分の表現したいこと」を絞り出す必要があるのです。
解決する方法を端的に言えば、「ストレスのある生活をすること」になるのかと思います。
または一般的には、「人生経験を豊かにする」という言葉の方が聞き馴染みがあるかもしれません。
ここで大切なのは、出来事や今の人生が大したものであるかどうかではなく、その出来事に対して自分がどう感じるか、どれだけ色々なことを掬い取って作品に落とし込めるかということなのでしょう。
ですから、「人生経験を豊かにすること」は制作活動を保つための直接の解決ではなく、「経験したことから自分なりに感じたことを溜めて、作品としてアウトプットできるようになること」が、制作のモチベーションを保つ上で最も必要なのかなと思いました。
あとがき
制作を軸に生きるとしたら、制作をしなくなったら終わりです。
制作意欲を維持するために、私は今日もたくさん本を読んだり、知らないことを知ったり、新しいことを始めてみたり、あんまり連絡を取っていない親しい友人に声をかけようと思います。(単純に遊びたいだけですが。実際、これが一番効きます。)
読んでくださってありがとうございました。
また余裕があったら、来月頭に5月の振り返りを書きます。仕事が何件かあったので、来月はそちらも紹介できれば。
kaorikid